2020年4月2日

チュチ

チュチ
Tute (Arthur de Souza Nascimento)
1886 Rio de Janeiro – 1951 Rio de Janeiro

ブラジルの19世紀の歴史(?)をざっとおさらいすると、

1822年ポルトガルからの独立宣言(王制)。
1847年シキーニャ・ゴンザガ誕生。
1848年ジョアキン・カラッド誕生。
1850年奴隷貿易廃止。
1863年エルネスト・ナザレ誕生。
1865年パラグアイ戦争2年目。シキーニャの出奔。
1866年アナクレット・デ・メデイロス誕生。
1870年カラッドのショーロ・カリオカが王宮に呼ばれる。
1873年イリネウ・デ・アルメイダ誕生。
1886年チュチ誕生。
1888年シナの誕生。
1888年黄金律(奴隷制の廃止)。
1889年王を追放し共和制に移行。
1896年アナクレット・デ・メデイロス、Banda do Corpo de Bombeiros創設。
1897年ピシンギーニャ誕生。

この世紀、他の地域と区別するための「地名としてのブラジル」から自ら名乗るための「国名としてのブラジル」へと「ブラジルのアイデンティティ」が徐々に確立されていきます。そしてそれが産業化(都市化)や奴隷の解放とセットで進行しました。
新生ブラジルの首都であるリオ生まれのカラッドやアナクレットそしてチュチやピシンギーニャは「時代の子供たち」であったともいえそうです。
言って見れば僕たちだって「今の時代の子供たち」なんですが、当人にそんな自覚が無いのはいつだって同じ。当事者には時代は見えません。彼たちを一括りにしてとやかく言えるのは後から行く者の特権です。

ショーロの花形楽器の7弦ギター。視界が届く範囲ではラファエル・ラベーロとその先達のジノ・7・コルダスがいます。でもその先があります。ショーロ界に7弦ギターを持ち込んだ功績はチュチとピシンギーニャの長兄シナ(オタヴィオ・ロシャ・ヴィアンア)の二人に帰されています。

チュチはアナクレットの消防警察楽団ではボンボやプラトなどの打楽器担当でしたが、1936年出版の「オ・ショーロ」のアレシャンドレ・ピントによればチュチがギターとバンドリンのソロを弾けば観客は興奮の坩堝に叩きこまれ足をガクガクさせたと記されています。

誰が7弦ギターをブラジルに持ち込んだか?については諸説ありますが、一説によるとチュチやシナよりずっと前からロシアでは一般的な楽器でありロシア経由ではないかという事です。
また別説ではロシアのジプシーがチア・シアッタ(サンバの集会所みたいなシアッタおばさんの家)に頻繁に訪れカリオカにも知られるようになったともいわれています。(個人的にはロシアのポグロム→ユダヤ人弾圧も影響しているのではないかとエヴィデンスは無いのですが勝手に想像しています)
またもう一つの説ではチュチがフランスのギター職人に発注したとか、より低い音を探してリオのギター職人に注文したとかともいわれています。

さてチュチです。1900年代にはシキーニャ・ゴンザガ・グループ( Grupo Chiquinha Gonzaga)で7弦ギターを弾いており、1910年代になるとリオ・ブランコ劇場オーケストラ、ピシンギーニャのショーロ・カリオカ、(オイト・バツータスではシナが弾いていたらしい)、ジェンチ・ボア、ヴェーリャ・グアルダ、シンコ・コンパニェイロス、コパカバーナ・オーケストラに参加しています。
20年代から40年代中頃まではルペルセ・ミランダと組みフランシスコ・アルヴェスやカルメン・ミランダ、マリオ・レイス、オルランド・シルバのバックを務めました。

チュチの7弦ギターは低音やパッセージ担当でソリストが自由に上手く力を発揮できるような伴奏に徹していたようです。
ラファエル・ラベーロと異なりチュチがスチール弦を使っているのは、「当時は電気アンプも無くサーカスみたいの場所では大きな音が必要だったし、ピッコロやチューバの間で負けない音も必要だった」とはレモ・ペレグリーニ氏の論であります。

余談;ジノ・7・コルダスが「チュチの7弦ギターの演奏は大変素敵だったけれど、彼に真似をしていると思われたくなかったから彼が亡くなってから7弦ギターを弾くようにした」と言っています。

もう一つ忘れてならないのは(知らなくても不都合はないのですが)、1911年14歳のピシンギーニャをリオ・ブランコ劇場オーケストラの指揮者パウリーノ・サクラメントに紹介したことです。ピシンギーニャ本人によれば「チュチはいつも自分のショーに連れていってくれていました。その頃僕はまだ半ズボンを穿いているホンの子供でしたが、ある時リオ・ブランコ劇場のフルートの都合がつかないと聞いて、チュチは劇場の経営者の所に行き、フルートをとっても上手く吹く少年を知っています。その腕は私のお墨付きですと迫ったところパウリーノも最後には同意してくれました」と語っています。

彼が演奏に参加しているレコードは数多く残っていますが自作曲は3曲余り、ショローンの持ち歌にはなっていないようです。

“Sonhos de Nair”
“Pra frente é que se anda”
“Alma e coração”

何をしたとか何を残しただけでなく、どんな人だったのかも書きたかったのですが、(ピシンギーニャの逸話でイイ奴だった気はするのですが)人柄を伝える資料が見つかりませんでした。今日の所はここまで。

Apr.02 2020

参考:Mundo das 7 Cordas
IMS Pixinguinha-Tute
Tute e o violão de sete cordas no choro
Casa de Choro Tute
O Choro(ショーロはこうして誕生した)

ショローンとその時代