Esmeraldino Salles
( エスメラルジーノ・サーレス )
1916, Sao Paulo, SP-1979, Sao Paulo, SP
初めて「ウマ・ノイテ・ノ・スマレ」(スマレの夜)を聞いた時、それまで聴き慣れているショーロとは違うなァと感じながらも、寧ろどこか懐かしいというか、その懐かしさが何処から来たのか分からいというフワフワした落着かない気持ちに陥りました。
曲名やメロディがサンパウロのスマレ地区や隣のビラ・マダレナ地区のバーを独りでうろついていた頃の郷愁を呼び起こすのかとも思いましたが、 他のエスメラルジーノの曲を聞いても同じ感情が湧いてきます。
そんなことで興味が湧いてきて彼の事跡を追おうと思いましたが、殆ど資料が見つかりません。生年月日もずっと分かりませんでした。ネット上に出ている紹介文も同じ文のコピーばかりです。
何故で追いかけるのがそんなに難しいのかなと不審に思っていたところ、エンリッケ・カーゼスの文章を見つけました。
曰く、「才能は傑出していたのに、自分で作った曲を演奏しようとしなかったし、他の人が演奏しても聴こうとしない。現代的な曲なのにねェ」
どうやら自分を押し出していくのではなくて、人の後ろに隠れているのが好きらしいのです。
でも情報の少なさにはサンパウロのショローンの悲哀も感じます。(リオの方が恵まれていると言うか)
ただ、サンパウロでは彼をトリビュートしたコンサートが開催されたり、SNSでファンクラブがあると知って少しほっとしています。
という訳で、Casa do Choroのアーカイブを参考に少しだけ書き足しました。
サンパウロ州サンパウロに生まれ、サンパウロで亡くなっています。楽器はカヴァキーニョ、ギター、コントラバス。 サンパウロの主要なバンドにいました。(Regional do Rago, Regional do Siles)またラジオ局ツピのバンドにも参加し、ここで様々なレコード録音に立ち会っています。 演奏家として有名にはならなかったものの、彼の曲はショローンに好かれよく弾かれています。 そのハーモニーはジャズにも似て、同年代のガロート(1915 Sao – 1955 Rio)のスタイルを追いながら ブラジル音楽の最高水準に達しています。
盟友でアコーデオンのオルランド・シルヴェイラ(Orlando Silveira)は1925年リオ生まれ、20歳前にサンパウロに移り、ラジオ・ツピと契約しレジオナル・ド・ラゴのメンバーとなります。ここでエスメラルジーノと親しくなり冒頭のウマ・ノイテ・ノ・スマレを共作しました。
オルランドはこの後51年にリオに戻り、カニョートのレジオナルに入りました。
代表的な曲;Uma Noite no Sumare, Arabiando, Equilibrando, Dedilhando