Catulo da Paixão Cearense

カツロ・ダ・パイション・セアレンセ
この詩人の小伝を書こうと資料を漁っていて、抱えていたある謎が解けた。

5年前の今頃、僕はアニマルの「オ・ショーロ」を必死に訳していた。
アニマルは「オ・ショーロ」の中でカツロを「モディーニャの生ける伝説」と賞賛した後に続けて、「カツロはモディーニャとセルタネージョのガンディーだ」と言っている。
アニマルがガンディーの名を使って何を言いたかったのかさっぱり分からなかった。
ブラジルの独立とインドの独立と何か関係があるのかとか、両国の共通点はイギリス資本が深く入り込んでいる点であるとか、ガンディーの非暴力主義の影響とか、更には当時のブラジルには「ガンディー」という今は消えてしまった言葉があったのかとか、色々考えた。
しかしどれもピンとこない。
結局「分からない、不明」と白旗を上げてそう書いた。


今日、カツロの写真を眺めていてあることに気が付いた。
カツロはガンディーそっくりだ。
アニマルの言葉に深い意味なんかありゃしない。
ただの見た目だ。カツロは強面のガンディーだったのだ。
アニマルに騙されていた。
いやアニマルは騙そうとしていない。こっちが勝手に深読みしたのだ。まんま訳せばよかったのだ。
チックショー!

アニマルが書き残して85年後、地球の反対側で悲鳴と雄叫びを上げたのだ!
しかもこの新解釈だって100%正しいわけではない!

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