徳島の盆踊り ヴェンセスラウ・デ・モラエス

徳島の盆踊り ヴェンセスラウ・デ・モラエス
愛妻ヨネの故郷である徳島に移住し、妻の名前を一切口にすることも無く、あの世とこの世が地続きである日本の風土を愛しながらも、西洋人としてはそうはいかぬとの思いもあり、また墓石と墓石の間を漂白し、死者の世界に思いを寄せるモラエス。
五十九歳。
愛おしきものは石、虫、猫。

土佐日記、枕草子、方丈記、徒然草に続くエッセイ。

千九百十四年の盆踊りから千九百十五年の盆踊りまでの1年間。何も起こらなかった。(第一次世界大戦以外は)

「ドン・キホーテ」の最後のシーンと同じ静けさがある。すべてが起こり過ぎ去った後、思い出だけが残された時間が持つ静けさだ。

モラエスの日本随想記 徳島の盆踊り
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七つの夜 ホルヘ・ボルヘス

ホルヘ・ボルヘスの「七つの夜」を沖縄旅行に持って行った。

第一夜の「神曲」を読みたくて手にしたのに、ボルヘスが1946年ペロンの為に追われて去った図書館を探し出せてラッキーだった。
ラプラタ大通りとカルロス・カルボ」通りの交差点近く、ブエノスアイレス市立ミゲル・カネ図書館。リンク La biblioteca donde trabajó Borges

第五夜「詩」ではフェニキアの船乗りの祈祷文に驚く。

カルタゴの母よ、私は櫂を返します。
私は眠り、それからまた船を漕ぎます。

スペインの詩

誰がそのような幸運に
海の上で巡り合っただろうか
サン・ファンの朝
アルナルドス伯が出合ったように

まるで西脇順三郎の詩だ、、というより、西脇順三郎がギリシャ、ローマ、スペインの伝統の流れに船を漕いでいるのかもしれない。

ラオコーンのような
粋な
旅人

松岡正剛 ホルヘ・ボルヘス

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ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ

1月の中旬からセルバンテスの「ドン・キホーテ」を読み始める。全6冊。1605年の出版。異端審問所があって、レコンキスタの記憶も生々しく、レパントの海戦でセルバンテスは片腕を失う。そういう時代だ。僅か300年前にダンテが「神曲」を書いている。

昨日ようやく第6巻目に突入したのだが、寄り道の連続。ホルヘ・ボルヘスの「七つの夜」の最初が神曲についてで、セルバンテスへの言及もあり、読み始める。(ボルヘスがペロンに追い出された図書館も気になる)

そういうことで、「ドン・キホーテ」、「神曲」、「デカメロン」、「アエネーイス」、ボルヘス、新約聖書が机の上にある。
中々片付かない。

松岡正剛 ドン・キホーテ

オーラ・デ・ショーロ

ラジオ番組「オーラ・デ・ショーロ」予定表ページを再開。
ツイッターで励まされての再開で誰も興味が無いと思っていた所で強力な心の援軍だった。
今回は音無し。音有りは大人の世界の権利がややこしい。

昨年11月でショーロの音楽配信を停止して若干エネルギーが下がり加減の所を海外からのサイト攻撃でサイトがダウン。
配信停止していてよかったと思う反面、再開への意志が強いとも言えなかったのは事実です。
「ショローンとその時代」を中心に再開作業していますが、スピードは15キロメートルぐらいで自転車並です。
完成まで長い目で見て下さいと、見知らぬショーロファンにお願いしています。

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フォンフォンのスタート

今から一月前、海外からのサーバー攻撃でサイトがダウン。
「こんな小さなサイトに興味のある泥棒はいないだろう」と高をくくって昼寝をしていたらいきなり枕を抜き取られた気分です。
「君たち、雲助の追剥のゴマノハエのコチンポコ野郎、そういうことをして楽しいのか?儲かるのか?」と聞けば多分「楽しくて儲かる」と返事をするのだろうな。何しろコチンポコ野郎だから。

しかし僕は不敵に笑っています。
「丁度、作り直そうと思っていたこと所なんですヨ」(先代の林家三平が遅れて来た客に向かって放った「丁度噂していた所なんですヨ」から頂きました)
サイトを「読むショーロ」に変身させ、「古い革袋」を仕立て直そうとしていた所だったんです。

しかし強気もここまで。
本当は「チックショー」とコウメ太夫のように泣きたい気持ち。

PCの奥の方の棚に仕舞ってある色んなファイルを取り出して埃を払って化粧を施しショーケースに並べ替える作業が続くでしょう。

しばらくブログに「仕立て直しの日々」を書き留めます。

ルネッサンスーっと。